yamasawa-aiの日記

短歌と日々の出来事

リアリティとはなにか

美術館へいった。

ちょうど作者さんがいらしていた。

 

リアリズムとはなにか?

ただ写真のように写すだけでない。

写真のような絵だけれど

実物以上に生きていること、死んでいること

そこにある美しさ、永遠が見える。

辛いことの中にも、なにかがある。

動植物も人間もおなじで、運命はある。

運命の渦に飲まれ、抗う姿には

かわいそうだけでない、なにか尊いものがあった。

 

たくさんの野鳥のなくなった絵があった。

車にひかれて死んださまざまな鳥の骸。

工具ではなおせない。

つむってしまった目は、世界をもう映さない。

どの鳥も透明なテープで羽をとめられて描かれていた。

サンプルのように。

本当の空を鳥たちは、この世界で見れていたのだろうか?

 

いぬふぐり

クローバー

 

作者が鳥たちにたむけてくれた草花。

くちばしに、つめのさきに

やさしく。

踏まれても踏まれてもよい草ばな。

やっぱり美しい。

 

作者の経歴のなかで、残ったことば。

アカデミックではない

直感的に描くとはなんだろう。

尋ねてみたい。

考えてみたい。

 

たくさんの死をみた。

おかしなことに、今癒されている。

 

 

 

雑記

長く生きれば、いろんなことあって

 幸いにも記憶がうすれたり、忘れたりして

傷もいとおしいもののひとつに数えられたりする。

愚かさも戒めになり、作った穴を歩むことで

埋めることもできる。

しかし、また新しい痛みや亀裂、失敗をする。

おおきな別れもある。

大切な人を失ったダメージ、すぐには気づけなかったけど

その存在の大きさは、日をおうごとに大きくなった。

その存在がくれた明るさや煌めきを思いだし

わたしは今、まるで違う場所にたっている。

 

人がいなくなることにはまだ慣れない。

人がいなくなることの実感がしていなかった。

いまだっていないなんて思っていない。

どこかにいて、それはすぐそばなんだと思う。

 

過去にすがってはいないけど

あの煌めきにすがっていたかも。

わたしはすがるものが多いダメなやつ。

 

愛されてきたから、やはり辛いな。

守られていたから、やはり苦しいな。

つよがりを言えるほどの体力もないのだけど

ここでぼやきながら

大切な人を大切にしてゆきたいと思う。

 

わたしを中心にして

わたしはなにになろうかと

そんな考えがメインだったけど

がんばる人をもっとフォロワーとして

応援する活動も多目に加えてゆきたい。

そう思える人がまわりにいることにも

感謝したい。

 

身を掲げよ

やめたい、やめる、と言いながら今日も電車の中。
見事な社畜っぷり。
思えばいつも辞めるタイミング探りながら働いていた気もするがずっと前向きだった。

よくしようとしていたし、表現する場をいただいていたな。


年齢もあるのか?
泥から足を踏みあげるように動く。

原因が思いつきすぎて、もはや確定できない倦怠感は同志でもある。

 

週末はよき出合いがつづく。
思いきって動いたから、つながった縁。
身を掲げて、動こう。
考えてばかりいたね。
門戸をたたくのだよ。

四月

あたらしい会に入会する。
月に一度横浜へ。
行くときは疲れているが、帰るときには元気になる。
よほどでない限り通おう。

 

母がオペをして、人より一日おくれつつも回復をしている。
もう何事もなく日々を過ごしたい。
次は父の大腸だが、他の病気の兼ね合いもあり、相談して納得のいくような方法が見つかることを祈る。
米糀でつくった甘酒は気に入ったよう。
肺によいぶどうの種と皮を発酵させたサプリをみつけ試しに買ってみたい。

 

自分自身も検査にいかねばね。
職場について、距離、交通の便がわるく、これから親を手助けするとなったとき
現実的ではないとつくつぐ感じた。
総合して考えると、場所を移動するのが賢明だろうか。